欲しい

音楽好きの友達が欲しい

何か誘ってくれる人が欲しい

一緒に上がれるバイタリティーのある友達が欲しい

勉強しすぎで見えなくなったあの星

こういう感じだと察したのは多分あの時

ただ求めてばかりいるのもアホらしい

究極誰も好きじゃないのだI don't give a shit

channel supreme guess rolex givancy

俺はああだこうだああしてたこうなったと自慢し

酔って別れて帰り道揺られてれば結局虚しい

昔武士が刺された場所にコンクリートとプラスチック

あいつはローンで買う白いリムジン

あの子は疲れて欲しがるmedicine

俺も今もあの頃と変わらず何かがずっと欲しい

何かのありかは曖昧で退廃と大敗を繰り返しながらもそれでも腹は減るらしい 

(2)

暇だ。

これは実は意図的に暇にしている。好きな人を誘うための土壌を自らで作り上げているのだ。帰路にテラスハウスしか見ないのもそのためだ。ふふふ...

と思っているがストレスの発散方法がなく、早めに帰っても4回自慰行為に耽るのみとなっている。この前などVRのAV、通称VRAV(ヴラヴ)を2作購入。興奮しすぎたあまり坊主になった自分の頭にめちゃくちゃ精子をぶっかける有様だ。カッコいい。なんてリアルなんだ。嘘がまるでない。

当然曲も作っていないし、映画も観ていないし、読書もしていない。本当にただスマホSNSかMCバトルを見ているという、慶應大学2年生になってしまった。足が疲れていて何もする気が起きないのだ。

これは良くないので水面下で何かしなければ。

・筋トレ(プロテイン)

・ヒップホップのポストパンク解釈強化

・O脚および姿勢の矯正

・和訳と勉強

・アナリティクスの勉強

・インテリ文学

を今年の目標にします!

 

会社が楽しくてのんびりしすぎてる..

そういえば営業を達成!よかった

今度はクライアント?に誘われて飲みに行くことに。自分から誘う勇気が全くないので(なぜならそんなことしたところで有言不実行の人間に裏切られて終わるのがオチだから)こういう誘いは本当に嬉しい。誘っても悪い気はしないのかもね...どうせ当日めんどくさくなるんだろうけど...テンションの反射神経だね、要は。反射神経ということは逆に言えば時間とは死神で、愛も友情も悲しみも怒りも偽りだと証明しようと思えばとても簡単なものなのだ。その反論としての芸術かもしれない。カンフル剤。美人なbitchesがお待たせ、と手を振りながらこっちに来ようが背後に死神が見えたら興奮もしないだろう。見えないふりをするかどうかといったところだ。

 

 

(1)

 先日は、韓国に会社の人達と旅行に行った。酒と異国情緒、散財(払うのは自分ではないが)を起点とする熱気に陶酔。見たことのない表情を見たり、したことない話をしたり、ああ人が生きていたと実感し、感激した。ああ楽しかった。

 

 韓国は雪が降っていたが空気は乾き、爽やかな冷気だった。大きな違いといえばそれと文字くらいのものだ。店があり、都市があり、金が回る。ああ、グローバル社会。旅行において人が楽しみを見出すとしたら、おそらく「グリッチ」だろう。そこではまるで自分が幽霊のように徘徊可能だ。事実、日本ではその間幽霊のようなものだ。インターネットへの接続時間は自然と短くなる。同じような世界の中で同時に俺は何者でもなくなる。

 

 最近はテラスハウスにハマっている。浮世離れしたラグジュアリーな空間とラグジュアリーな男女6名。国内のみならず海外でも大きな支持を集める本作だが、それはある意味全員が楽しめるゲームが恋愛であるということかもしれない。本作においては、恋愛をしなきゃステージはほぼ進まない。そしてそのテーゼは現実社会においてもある程度のリアルさを持つ。泣いたり、高揚したり、できるのは恋愛だけかもしれない。いくら金を稼ごうが、孤独の2文字は外部からその人間の不幸さを定義づけるにおいて十分すぎるほどだ。ケータイ漫画を見て欲しい。ほぼ喋らない妻や子供、いじめられっ子、ニート、うまく行っているけど本音を話せないOL...。当然、映画・ゲーム・小説といった消費社会のエンターテインメントにおいて主人公は、現実の人々のある側面を過度に抽出/compressした役割を背負うことが多い。それは共感を呼び、だからこそ売れる。野木亜紀子脚本、松田龍平/新垣結衣出演のドラマ『獣になれない私たち』(TBS)(2018)はタイトルからしてそのルールにそぐう。野木は『アンナチュラル』『逃げるは恥だが役に立つ』といった作品で高評価を獲得し、現代ドラマの気鋭脚本家として賞賛を浴びてきた。『獣になれない私たち』ー通称「けもなれ」の主演が松田龍平/新垣結衣というのもなんとも興味深い。男性が憧れる俳優、女性が憧れる女優の筆頭でもある2人は常に疲弊している。コメディー調の売り出し方とプロデュースであるが、個人的には全く笑えず悲惨といっていいほどだった。(新垣はブラック企業で一番働かせられ、自殺志願を喚起させる場面すらある)

人はエンターテインメントを通じて、自分が不幸であることを知りたがっているような気がする。だがそんなことを知ってどうするんだろうか。

旅行は本当に楽しかった。みんなどこに行こうが、一生笑ってそして最期を迎えられるといいなと思って帰路でまた泣きそうになるのだった。

最愛の家族といってもなんら過言ではない愛犬が事故で亡くなって以来、もともとあった自身のエクストリームな死生観はより強まっている。みんなで元気を有効活用しようじゃないか。一緒に一人ぼっちで死ぬのだ。自分はマイペースで頑張り続けるつもりだ。まだ本当に言いたいことは口にしていない気がする。今年は何かしら表現を出したい。自分が何かを残せる/何者かになれると思ったら大間違いだと俺は言いたい。