最近

おはようございます、こんにちは、こんばんは。

明日からオランダに行きます。

最近は・・・

ギターを売ったが500円。残高が心配になってきたが、未だ働く気も出ないどころかどんどん無くなっています。新しい経験・壁を全く欲していない。とはいえ、家にいづらくなるのも人に迷惑かけるのも嫌だし、転職活動を始めました。ああ、面倒くさい。本当にどうでもいい。どうすればいいんだ・・・。興味持てる企業はそれはそれで個人的に探して、よくわからないところは転職コンシェルジュにお任せしました。

 昨日?一昨日?かな、その転職コンシェルジュに相談みたいなのをしに面接に行ったのですが、やっぱり面倒くさい。あー!!!面倒だな。

 まあいやな気持ちになるのはそれくらいで、後は当然のようにふらふらしていて居心地がいいです。ほんと、実家でも出ればフリーターとしてやっていくだろうな。属したりするのが嫌いすぎる。属さないためにどうすればいいかということを考えると、何かを発表したりを続けるのが一番いいわけです。 

 TOEIC勉強を最近さぼってるのでまた習慣づけようと思います。あと禁煙も考えてます。

emoji aqualiumというtwitterアカウントが大好きです。

twitter.com

こういうもの以外がどんどん邪魔。

Carl Burtonというgif作家がいるのですが、同じにおいがします。

http://carlburton.tumblr.com/

人がいなくなった(いない、ではない)無臭の死の場所。

ガストロノミーに興味があります。

ガストロノミー(仏: gastronomie、英: gastronomy)とは、文化と料理の関係を考察することをいう。日本では美食術、美食学とも訳される。美味しく料理を調理して食べることだけを指すものと、誤って理解されることもあるが、これらは分野の一部にすぎない。ガストロノミーとは、料理を中心として、様々な文化的要素で構成される。すなわち、美術や社会科学、さらにはヒトの消化器系の点から自然科学にも関連がある。

錦鯉 にも興味があります。

 

今度、サバゲーしようと思います。もし行きたい人がいたらぜひお声かけください。

3月8日にライブをします。一人でやるのは好きじゃないというか想定を超えないので、もし一緒にやりたい人がいたらぜひお声かけください。

Tシャツのブリーチにも興味があります。

早くCQのやつ出したい。

この前古着屋にいったら、チョイスをほめてくれて嬉しかったです。変態的らしい。今は無職なんですよ、と言ったら「いや、でもお金持ちの人が買うより無職がこういう服買う方がいいですよ」と言ってくれました。ね。

帰ってきたらギター買おう。早く小野は金返して欲しい。

年始2

1月5日

スーツ姿の人がインターネット上や市街に見受けられるようになった。いつの間にか私たちはまた、ありふれた祝福を経たありふれた倦怠と悩みに帰っていった。

 私は、「虚無い」「虚無〜ん」とよく口にする。「虚無」ではない。自分には「虚無」などという高尚かつ哲学的な言葉を扱う権利を持たないという遠慮からだ。「虚無い」「虚無〜ん」といった自らへの茶化しは、我がままな己への最大の譲歩なのである。

 小野と根岸と大船で会う。ラップをしたが、さてどうだか。酒がうまい。私はまたStrangersに戻ってきたのだ。あの8ヶ月とは縁はもう無い。それが良いと思った。

 映画までの時間つぶしに入ったスターバックス北方謙三の「棒の哀しみ」を読み終える。「棒の哀しみ」とはよく言ったものだ。

 辻堂で「キングスマン」を見る。辻堂という街がなんだかとても好きだ。なにかあるようでなにもない綺麗さが。映画自体は前作よりちょっと落ちるかなといった感じ。でも、スピリット(精神)ていいなって思った。間に合うかなと思ったけれど、終電を逃したのでタクシーで帰る。映画代より高くついた。ばからしい話だが、タクシーは好きだ。考えながら帰らないで済む。

1月6日

17時起床。「ウォールフラワー」を見る。いい人たちばかりで微笑ましかった。

1月7日

寝れないまま、堀切さんとPV撮影で水道橋。いろいろな人と何かを作ったりするのがとても楽しい!完全に弛緩している脳の一部分が目覚めるのを感じる。疲れたけれどとても充実していい日だった。こういう時だけが生きていると思える。JUSWANNA聴いて帰ってたらドーパミンが出てきて結局4時までビートを作っていた。

1月8日

ルノアールで根岸と音源を精査した。雨が強かった。集合で迷惑をかけた。女子バレーの試合をなぜかずっと見ていた。スポーツの試合とかに日に日に涙腺が弱くなっている自分に吐き気がする。

 黒沢清の「降霊」を見る。平凡な日常を許せなくなり、罪を犯した夫婦の取り戻せなさ。

1月9日

根岸に誘われて、大船で池野さんと飲む。大船には基本的に3人しかいないので新鮮だった。いい店に入った。夜の静かな街を歩いた。

1月10日

サイゼリヤ読書。風が強くて怖い。

とても嫌なことがあった。7秒前の自分を恨む。

相互理解を投げ出して、本当のことを話さなくなった自分という人間は、側から見たら迷惑そのものでしかない。そこからは何も生まれる余地が無いからだ。

分かってほしい、というより分からせたいという極めてエゴイスティックかつグロテスクな我が傲慢さに、お茶割りをかけてむせび泣く。

こういう時は度々幼年時代を思い出す。ユング心理学的発想だ。怒られる恐怖だけが記憶にある気がする。楽しかったのは水族館とハワイだ。

これは被害者的自意識がそう錯覚しているのだろうか。明日、この文章を読んだ時の自らの気恥ずかしさがそれを判断する。母親にも父親にもとうに理解というものを求めることは諦めきっている。本当のことを言うのは随分前にやめた。

 そういえば、上司と辞めた日に呑んだ時に、「自分を見せようとしない」と指摘を受けた。全くその通りだと思う。

 相談したり、願いを請うたりするのが苦手だ。そのくせ現在この様だが、まあ話したところでやっぱりろくなことがないと考えている自分がいる。

根本的に受動の姿勢が苦手なカッコつけの最悪の末路なのだ。誰も見ていないブログ上で、おいおいと自虐文を並びつらなる現時点で消えて無くなりたい気分だ。

話さなくなったことで周りの人を傷つける。俺の気など測りようもなくなってしまったのだから。相互理解の未来は潰えて、俺は空想の世界でまた勝手に目をキラキラさせる。要は向こうも放っておいてくれればいいのに、そうは行かない。人の情や理というものは得てしてそういうものなのだろうか。システムとは別に動いてるもの。そんな愛情を全く持ち合わせないし、向けられても返そうとも微塵も思えなかった。コミュニケーションが希薄化した現代の典型的末路。話したくない。

 人の気持ちが比較的分かる、ということを小さい頃は優しさにしっかり使えていたという自負がある。今となってはそれを他人を操作しようとしたり、撹乱したりすることばかりに使っている。

 こんな人間は早く死んでしまいたいし、当人もそう願っている。他の人に至っては、もはや死んでいようが死んでいまいが全く関係ない。他人に何をもたらせるかだけが人の価値で、当然俺には無い。生きていても今後孤独感は強まるばかりで、朝8時と乾いた口づけを済ませ、会社のコピー機とセックスをし、A4の赤ちゃんを寝かしつける。周りの人とは会わなくなり、周りの人は会う。おしまいであるおしまいである。今後生きていて、何を糧にすればいいというのだ。誰とも健全な関係をもてやしない。酔った帰りには死神だけだ。

 

年始

こんばんは。

年始ということもあり、今年の生活を振り返ろうと思います。

ハレとケで言うなればこの時期は間違いなくハレなのであります。

12月30日

 友人達と横浜でフットサル!楽しかった!

12月末日

 田村くんと小野君と横浜でスタジオに入りました。疲れました。バンドは難しい。ギターを弾けたのがよかったです。その後串カツ屋に行きました。サコッシュを褒められました。とりとめのない話をしました。朝まで遊ぼうかなともそれまでは思ったりもしたのですが、玄関で靴ひもを絞めている時から、なにか違うなという懐疑がありました。朝まで遊ばなくてはいけないという強迫観念めいたものを12月31日という呪術的な響きがもたらしていたのです!僕は帰りました。なんだか思い通りに行かないというか、自分が何を思い、求めているのかが増々分からなくなりました。紅白を少し見て、キングコングを見ました。つまらない映画でした。

1月1日

 15時頃起きました。Amazonからたくさん本が届いていて嬉しかったです。本を札束に置き換えて何冊もベッドに並べて寝てみました。知的欲求が満たせる・・・その快楽に僕はしばし身を浸しました。小説をまずは1冊読みました。北方謙三さんの「檻」というハードボイルド小説です。一度は戻った堅気の生活から、些細な出来事をきっかけに血を求めていた欲求が再びわき上がるという話です。共感出来ますね。普通の生活がとにかく耐えられない!と女性ファッション誌のキャッチコピーのようなフレーズが僕の頭にリフレインしています。

 ハードボイルド小説を支えるのは感情と倫理、それに肉体が同期する瞬間。社会から逸脱「せざるを得なかった」人間の末路。

 夜は、同級生と横浜のルノアールウェンディーズという健康的ツアー。またサコッシュを褒められました!これほど自分を表している服をよく見つけたなと言ってました。

 みんな以前よりシリアスに働くということを考えていて成長したなあと自分を他所に思う。結婚や就職といったありふれたシンギュラリティーにありふれた我々も否応無しに考えさせられたのである。それから未だ逃げていたい私をいわばchildishと安易に形容することも出来るが、存外世の中そういったものから逃れて生きる術があるということをネットは教えてくれた気がする。カラオケに行く友人達を他所に帰宅。

1月2日

 15時頃起きた。本を読んだ。それ以外覚えていない。Netflixはいつでも見れるあまり、逆に見ない。

1月3日

 あまり覚えていない。ハレからケへと戻る準備を着々と進める家族の様子が悲しくて家族が眠るまで夜を散歩した。寝静まった家に帰宅して緑のたぬき吉岡里帆大先生のinstagramを見ながら食べた。やりたいことに真面目な女性が好き。

1月4日

 小野と大船で集合。「ポップスは全クリした」という彼の発言に笑った。我々は情報をあまりに与えられ過ぎている。今においては、(人生において)必要なものが何か精査していく作業が出来る人間がスマートと言えると思う。何度も言ってるし、何も言い表していないけれど。幸せというものは数値化出来ないという当たり前の事実が最近ようやく染みてきた。数値化出来ないというと、語弊がある。数値は人より強大だ。極めて分かりやすい指標になるし、それに従う人は多い。成績、給料・・・あらゆるものに自分は興味が全くといっていいほど湧かない。せめて誰かを愛してみたい。もう少しいろいろなことが分かるようになりたい。知って欲しい。俺の欲求はこの3つだ。

 ガキ使のブラックフェイスの問題、ウーマンラッシュアワー村本を囲む議論について、大船の寒空の下、話した。正直、自分は両問題とも何が悪いのか全く分からなかった。バッシングの対象となっていることには驚いた。ブラックフェイスの問題は無知の一言に尽き、そしてそれがバッシングの対象となることが理解出来ない。態度の軟化が必要であると思う。むしろそれ以外は、どんな議論も水泡に帰し、そしてまた新たな火種が出る。この無為な繰り返しにしかならない。

 あと、テレビ制作側が日本人の視聴者に焦点をしぼって恐らく放送しているということもあると思う。日本では、人種間で綿密にコミュニケーションをとる機会自体少ない。宗教もそうだけれどそういった国際的問題になりやすい人種・宗教というものを教育される事自体が、今まで道徳的な意味においてはなかった。niggaが指すことを知らない人の方が中高年より上の層は多いのではないだろうか。おそらくリベラルが種を蒔くならばまずは、教育に焦点を絞れば恐らく大半の理解は得られる。

 前日に、同級生と話していて、「何を言っても変わらないやつ(その癖自分はダメだとツイートするやつ)」が話題に上った。俺はそういうやつは他人の話は基本的に聞かないのでフォーマルな場を設けるか、無視しかないと言った。俺のリトルトランプである。

 中本を食べて、ドトール。やれることを話した。鎌倉でお酒を飲んでフリースタイル。楽しかった。久々に人と会ったのでテンポよくしゃべれた。このくらいの頻度で人に会う方がいい気がする。さっきの情報摂取じゃないけれど、過多でストレスを感じている機会が存外多いような。本来だったら明日から会社なのだけれど改めてありえない!と思ってしまった。働けるのだろうか、また。では。

 

年末

こんばんは。

年末ということもあり、今年の生活を振り返ろうと思います。

・今年はなんといっても会社に入り、辞めてしまったことです。会社を辞めた動機らしい動機は特にもなく、ただなんとなくいろいろなタイミングが重なり、「退職」という文字の蠱惑的響きに魅せられたということに尽きます。我ながら愚か・・・。とはいえ、この選択が明らかな間違いとも言い切れず、改めて自分にあった道のりを検討していくことが出来るし、そうすべきであると今更ながら再認したのであります。周りの人はいい人ばかりでとても助かりましたが、それでも毎日が面倒でたまりませんでした。

CQ Crewという地元の友達と組んでいるラップグループのアルバムを鋭意製作中です。給料が入り、機材を購入することが出来、ようやく創作の姿勢が整ったことはとてもよかったです。現状の問題としてはラップというフォームに沿った、自分で納得出来るスタイルとリリックが見つかっておらず退屈し始めていることです。

 とりあえず、来年4月までには出来ていて欲しいです。アルバムに伴ってPV、ラジオ、雑誌というプロダクト制作の話も出ています。フォームとしてはすごい現代的かつ実用的でいいアイディアだと思うので、これも実現したいです。暇な時間という意味ではすごいあるのですが、何かを引っ張る、となった時に引っ張られる側の方が気になって仕方がないものです。が、そういう経験をすることは自身のクラゲ生活においても重要だと思いますし、そういうことを完遂させる、ということが何よりも今の自分には足りていないように思います。選ぶということは捨てるということ。このことが常に念頭にあった1年でした。全て自己満足なのですが・・・。

・この関連でいうと、今年は都会で遊ぶということがめっきり少なくなりました。大学4年間の空白故の狂騒の熱が冷めたと言いますか、より意味というものを重視していたように思います。その結果、交通費と時間を売りたくないという結論に至りました。基本的にコンビ二で酒を買い、地元のカラオケにいるというのが遊び方でした。何をしても満足出来ないという閉塞感はここら辺で養われた気がします。

 お金は入るようになりましたが、未だに有効な使い方というものは見当たりません。お金があると出来る行動範囲というものは実は3つほどのゾーンに分かれていて、一つのゾーンを超えない分にはさして変わりないのではないでしょうか?買いたいものはより身近にはなりましたが、減るという事実がまだ視界に映っているうちはフラストレーションは無くならなそうです。

・今年はトラップミュージックばかり聴いていました。808サブベースの音圧、細かいハイハットに刻まれるマゾヒスティックな快楽は何物にも代え難い。歌詞も無意味性の極地を目指すようで、そういった不穏かつ野蛮な音楽が現代社会で流行しているという事実はとても興味深く、また2017年特有の現象がまだ起きていることに興奮を覚えました。Apple Musicといったサブスクリプションサービスを導入したことも時代への同期性を強め、3年前には想像も出来なかったことに身を置くことが楽しかったです。

・今年よかったアルバムを挙げようかなと思います。

1.XXXTentacion「17」

まるでハードコアのようなファスト感で一躍ブレイクしたフロリダのラッパーのデビューアルバムがこのような内省的な19分になるとは予想していませんでした。タイトル通りティーンエイジャーのために作ったとイントロで本人の口から説明されているアルバムは、まるでNirvanaのアンプラグドのような陰鬱ながら美しいメロディーを持っています。与えたインパクトという意味でも余りにも大きかったですし、アルバム発売を心待ちにする経験自体がそもそも久しぶりで、それだけ僕はこのラッパーに新たな時代性を感じ、興奮していました。自身の破滅願望というものをむき出しにされるアーティストが大好きです。その儚さに僕は毎回気付かされるのです。私も同じであったと。


XXXTENTACION - Dead Inside (Interlude) (Audio)

2.Lil Uzi Vert「Luv is Rage」

XXXTentacion「17」と同日リリース。この2枚のアルバムがそもそもトラップを出自としながら全く別物になっている事実!。トラップはもはや一過性とは呼べないほどに浸透していることが実感しました。「17」が完全にトラップミュージックの暴力性の先、根源的な破滅願望に到達した結果トラップミュージックとは似ても似つかない物になった一方、Lil Uzi Vertのアルバムはトラップのマナーに則りつつもそのメロディアスなフロウを駆使し、よりトラップをポップミュージックとして完全に消化しています。多彩さ、曲数の多さなどの点で「17」の真逆ではありますが、トラップの更なる先を目指したという点では共通しているように思います。音楽最重要ポイント、狂ってる系トラックが多くていいです。


Lil Uzi Vert - The Way Life Goes [Official Visualizer]

3.KiLLa Crewミックステープ諸作

国内でもっとも精密に現在のヒップホップを翻訳しているのがKilla Crewだと思います。リリック・ラップ・ビートどのクオリティーも「日本語ラップ」ではない水準ではないでしょうか。個人的にすごいこういうものに感化されやすいです、キチガイなので。

4.Playboi Carti「Playboi Carti」

Playboi Cartiも今っぽい独特のトラップのサイケ感があって気持ち良くてよく聴きました。Pi'erre Bourneのビートは良かったです。

5.Smokepurpp「Deadstar」

暗くて大好き

6.Trippie Redd「A Love Letter To You 2」

Trippie Reddも最近のトラップで目立ち始めた一人。この人は歌えるのが強い。エモラップぽい流れにも入るのかな。泣ける歌を書くから繊細な感じなのかなと思ったら、めっちゃ性格悪そう。

 

SZA「Ctrl」はクオリティーの高さとバラエティーの豊富さがUSのヒップホップぽくていい

 

wifisfuneral「Boy Who Cried Wolf」

トラップミュージックの最近の人ほどやり過ぎない暗さとラップの上手さでいい。

 

Goodmoodgokuと荒井優作のEPも、世界的にもオリジナルかつ現行にぴったりと沿ったフィーリングで息を呑んだ。友達なのもあって余計に。

 

 Her`sの「Songs of Her`s」は今年インディーで唯一まともによく聴いたアルバム。夜中に酔った帰りによくあう。死にたくなるような曲が一杯あって大好き。そもそもメロディーがちゃんとあるポストパンクに自分は相当弱い。

 

岡田拓郎「Nostalgia」

インディーロック、もう一つありました。ミキシングや音響など、細部に宿る音楽の魅力に関してはヒップホップの聴き過ぎで忘れがちだったのですが、このアルバムはそれを思い出させてくれます。丁寧に作られた作品というものは、丁寧さ自体がかなり価値を持ちますよね。そういうものにはとても憧れがあります。

見てみて気付くとサブスクリプションサービスの影響かもっと聴いているんですけど、その分、記憶に残っているものは減りましたね。もう少し気を使って音楽を聴こうかなと思います。

どれも、良かったら聴いてみて欲しいです。

ではまた。

今年

今年

お菓子をよく買うようになった。オレオと堅揚げポテトとキャラメルが多い。

AMAZONを使うように、というか使えるようになったがめちゃくちゃ便利。何を言っているのだという感じだが。これがここまで広く普及してるなら硬貨も無くなるのもそう遠い未来ではないように思う。おかげで本を頼めた。

→ブローディガンという作家が好きだ。夢想的だが、その夢自体はグロテスクなまでの無常観に根ざされている。空想が現実に回収されることを知っていて、そのことを諦めているような無常観。連絡が急に無くなり消えていってしまいそうな人が描く作品が好きだ。

TOEICの参考書を買ったので、来年はコンスタントに勉強出来ればと思う・・・どうなるかわからないけれど。働いたことで、時間の有限性に少しは敏感になれた気がする。帰宅すると基本的に足が動かないので、そこから改善していきたい。一生クリア出来ない気持ちの問題と不真面目さ。どうなるのかよくわからない。ここに書いた所で実行したためしがないし、書く意味も無い気がする。

やはり自分は他の人間とどこか違うらしい。コミュニケーションが唐突で、文を省き過ぎたり、断言せずに無駄な情報を付け加えて曖昧にしたり。意識していなかったけれど、こういうものはネットの使い方に準拠している部分があるように思うがどうだろう?この結論付け方がすでに乱暴で、筑紫哲也じゃあるまいし、嫌気が差す。

 ただ、思えば自分や相手の発言をテキストデータとして頭の中で変換し、まさしくLINEやTwitterのようなインターフェースを想像して、その世界観で返したものを音声として発するということは結構多い。というか癖。AVとかもそれで笑ってしまうことがある。主体と客体ではなく、主体と主体というスタンスが自分にはぽっかり欠けている。どこまでも自身が客体でしかない故、ありとあらゆる自身に降り掛かる出来事さえ全く真剣味が無い。生きていて今後いいことがある回数は普通の人は3回くらいなのではないかと会社に入って思う。〜したいと毎日思いながら、何一つ実行に移さないことが本当にもう苦痛で死にたくなる。その点で火曜日に毎回集まる、とかそういう基本的なことから始められたのは良かった。買いたいものは大体揃ったのも。

 出来ることは増えた1年だし、金で経験したいこともだいぶもう済んだし、来年は上手くいくといいな。今年は本当にトラップを中心としてヒップホップばかり聴いていました。僕は自己ベストみたいなものに肯定派なので、そういうものをまた整理出来ればと思います。トラップを聴いていると、5年前には想像しえなかった異形の音楽ムーブメントなので、聴いているだけで嬉しいです。

勉強するだけのスタミナがない。特別嫌なことがない職場だが、毎日夜に怯えている。18時きっかりに帰りたいものだが、上司がそういったものに無頓着なので声をかけるのにも勇気がいる。

 人間どちらかを選択するのには体力を消費するらしく、疲れると欲望が前面に出るらしい。心理学の研究で、体力というタームもよく分からないが頷ける気はする。疲れる、とはどういうことなのだろうか。運動という運動をする仕事でもないので、やはり頭も疲れて何もできなくなっているかそう錯覚しているのかもしれない。

 わりと仕事には慣れてきたものの、新人がいるという状況にあまり置かれなかった職場で、ただデスクで忙しいふりをするということがままある。これは恐らくやることが多くて忙しくなるよりよっぽど疲れることだろう。別に頑張ってるわけでもないのに頑張ってる風になるわけだし、、、。

 自分の人生が誰にも混ざらない不満と虚無がある。映画がないのだ。日本人は音に対して意識的、というのをこれまた何かで聞いたことがあるが反響し合うこと、考えを交換し合うことを欲している。まさしく、アンビエントやドローンのように、レイヤーとして、、、。そんなことを求めながら自分はといえば、x=1と聞かれたらy=3としか答えられないくらいに不貞腐れて疲れてる。とりあえずやることないまま残業するのはうんざりだ、お互い良くない。

 暑くてフラフラする。自分の写真を見たら細過ぎて、ドン引き。会社、自宅への道中でもう2つほどルーティンを加えたい。

 

装苑コンパはないか。

3連休(!)で時間があるので、ここ最近を振り返るためにキーを叩いている。現在はもう、6月に入っている。入社してから2ヶ月を経て、逗子・鎌倉を見れば夏を感じに来ているであろう人間も増えてきた。

 仕事には慣れだした。ここから素早くマスターしたい。時折いやなことやプレッシャーもあるが、そういうものと共存する居心地も悪くなくなってきた。職場の周りの人達が自分に何を求めているか、何をしたら良くないか、というのが分かってきたことも大きい。逆にこれさえ分かれば意外と話は早いのだ。後は自分がいかにそれを要領良く出来るか、もしくは周到に避けられるかだと思う。

 資格の勉強がなかなか手についていない。(スーツ姿が板についていない。)勉強の仕方・習慣付けを忘れてしまっているので早いとこ毎日何かしらしないと。これは将来のコスト的に絶対にとっておきたい。

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今再開してブログを書いてる。

1時だ。眠れない。会社が面倒でたまらない。とはいえ3連休も退屈ではあった。遊びが欲しい。友達がいない。そういうのもあって最近はスケボーがしたい。1人というよりたくさんスケボーをする仲間が欲しい。会得、体得が俺を良くしてくれる気がする。

幸せになりたい、幸せになりたい、本当に。本を10冊ほど注文して、何冊か読み始めた。幸せだった。自分の中にいろんな人の俺に向けられていない視線が混ざる。映画とか本とかブログとかが好きなのはそういうところだと思う。人と話す時みたいに鬱陶しくない。

 マイクを買った。1時間ほどで3曲録った。語弊があるかもしれないが音楽は作るのは簡単だ。ラップはなおさら。その精度を研ぎ澄ますことが必要だと気付く。どのくらい良いのか検討がつかない。ビートにしてもラップにしてももっと作りこむようにしたい。外の人が具体的に意見を言ってもらえると助かる。

 マンチェスターバイザシーを見た。会話の不通、疲労の断片のカットアップ、蓄積。やがてこぼれるエモーション。風景と音のアンビエンスがそれを撫でる。アピチャポンに近いものを感じた。0.100の人生なんてものはやはりない。静かに重心を傾け、やがてその速度を強める。すごい疲れて癒された。いい映画だった。また今度書ければいいけれど、宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」という曲にも近いものを感じた。これのPVが本当に素晴らしかった。認識されないまま血に溶けた儀式、アングル、温度、光。そういうものがふっと蘇る。「千と千尋の神隠し」が大好きなんだけど、これも勝手に自分の中で文脈としてつなげた。出会いと別れ、1回性、不可逆性。それを知るたびに俺は死にたくなり、同時に生を実感する。

 自動車運転をこの前、任されとんでもない悲劇になった。その時俺は完全に全てを諦め、行き交う車の横断の中で、手からハンドルを離した。その瞬間の気持ち良さに魅了されている節が最近ある。その時俺は慌てて再度状況を変えようとハンドルを握り、駐車に成功した。だがなんなのだろう。駐車に成功した後も当然俺は変わってない。成功して以降の人生。失敗して終わった人生。どちらが良いだろうか?俺は自信をもって前者とは言えない。成功してから資格の勉強をしたり、乗換案内を見て電車に乗ってる。人生の終わりまでの果てしなさに目眩がする。俺は今無理にでも活動している。どうか何かリアクションが欲しい。会社を通して外部との接点を強めたが、結局残るは退屈だった。何かを変えようとする友達が欲しい。幸せになりたい。幸せとはなんだろうか?個人的には捕まらないテロを企てる時、音楽を聴いているときにそれを感じる気がする。それはどういうことだろうか?五感が蘇っていく?もうちょっと考えたい。

 お酒を飲んで3人でフリースタイルをしたら楽しかった。もっと俺は無理しないでお酒を飲んだ方がいい気がする。でもお酒を飲むと疲れるので難しい。何が疲れてるのか。お酒を飲むと体が硬くなってる気がする。

 iphoneになった。

 おいしいそば屋で落ち着いた。

 永田君と久々に飲んだ。楽しかった。たくさん冗談を言った。悪ふざけをした。仕事の話で上がった。友達といつまでこういう風に遊ぶのだろう?さっきもそうだが、こういうことがよく頭をよぎる。俺は老後が不安なのだ、多分。老いれば等しくbad endだと。10年後何を考え、何をしてるのか不安でならない。何を幸福と思えているのか。

 小野が、グループの中に気になる娘がいて、その人と話せるときがあればテンションが上がり、逆ならばテンションが下がりを繰り返し、その上下を通して好きになり、告白したいと言っていた。(コンプラ的にどうなのか微妙だがまあいいだろう)確かに、と頷いた。恋恋などとよく私はのたまうが一番これが正解に近い気がする。だとしたら今後相当やばい。

 ここまで来て思うが、先のこと昔のことを考えて疲れてる気がする。幸せとはどこにあるかを考えて実行していきたい。