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 先日は、韓国に会社の人達と旅行に行った。酒と異国情緒、散財(払うのは自分ではないが)を起点とする熱気に陶酔。見たことのない表情を見たり、したことない話をしたり、ああ人が生きていたと実感し、感激した。ああ楽しかった。

 

 韓国は雪が降っていたが空気は乾き、爽やかな冷気だった。大きな違いといえばそれと文字くらいのものだ。店があり、都市があり、金が回る。ああ、グローバル社会。旅行において人が楽しみを見出すとしたら、おそらく「グリッチ」だろう。そこではまるで自分が幽霊のように徘徊可能だ。事実、日本ではその間幽霊のようなものだ。インターネットへの接続時間は自然と短くなる。同じような世界の中で同時に俺は何者でもなくなる。

 

 最近はテラスハウスにハマっている。浮世離れしたラグジュアリーな空間とラグジュアリーな男女6名。国内のみならず海外でも大きな支持を集める本作だが、それはある意味全員が楽しめるゲームが恋愛であるということかもしれない。本作においては、恋愛をしなきゃステージはほぼ進まない。そしてそのテーゼは現実社会においてもある程度のリアルさを持つ。泣いたり、高揚したり、できるのは恋愛だけかもしれない。いくら金を稼ごうが、孤独の2文字は外部からその人間の不幸さを定義づけるにおいて十分すぎるほどだ。ケータイ漫画を見て欲しい。ほぼ喋らない妻や子供、いじめられっ子、ニート、うまく行っているけど本音を話せないOL...。当然、映画・ゲーム・小説といった消費社会のエンターテインメントにおいて主人公は、現実の人々のある側面を過度に抽出/compressした役割を背負うことが多い。それは共感を呼び、だからこそ売れる。野木亜紀子脚本、松田龍平/新垣結衣出演のドラマ『獣になれない私たち』(TBS)(2018)はタイトルからしてそのルールにそぐう。野木は『アンナチュラル』『逃げるは恥だが役に立つ』といった作品で高評価を獲得し、現代ドラマの気鋭脚本家として賞賛を浴びてきた。『獣になれない私たち』ー通称「けもなれ」の主演が松田龍平/新垣結衣というのもなんとも興味深い。男性が憧れる俳優、女性が憧れる女優の筆頭でもある2人は常に疲弊している。コメディー調の売り出し方とプロデュースであるが、個人的には全く笑えず悲惨といっていいほどだった。(新垣はブラック企業で一番働かせられ、自殺志願を喚起させる場面すらある)

人はエンターテインメントを通じて、自分が不幸であることを知りたがっているような気がする。だがそんなことを知ってどうするんだろうか。

旅行は本当に楽しかった。みんなどこに行こうが、一生笑ってそして最期を迎えられるといいなと思って帰路でまた泣きそうになるのだった。

最愛の家族といってもなんら過言ではない愛犬が事故で亡くなって以来、もともとあった自身のエクストリームな死生観はより強まっている。みんなで元気を有効活用しようじゃないか。一緒に一人ぼっちで死ぬのだ。自分はマイペースで頑張り続けるつもりだ。まだ本当に言いたいことは口にしていない気がする。今年は何かしら表現を出したい。自分が何かを残せる/何者かになれると思ったら大間違いだと俺は言いたい。